中部大学ワイン『白亞』2019に寄せて
三輪錠司(ワインエキスパート)
《甲州ブドウについて》
「ブドウと聞いて、頭に浮かぶ種類を挙げてください」と言われたら、どんな種類が思い浮かびますか。多くのひとが、大きな粒と黒々とした「巨峰」や深く青い「ピオーネ」、赤みがかった小粒の「デラウェア」や大粒の「甲斐路」、若い人たちや女性なら、緑が淡く透けて見えるような「シャインマスカット」や香りのよい「マスカットオブアレクサンドリア」を挙げるのではないでしょうか。これらのブドウはいずれも生で食べることを主目的とした、いわゆる“生食用”ブドウです。
この中に、甲州というブドウ(以下、甲州ブドウという)は入っておりません。30年前なら確実に入っていたでしょうが・・・。ですから、現在でも50代以上のひとたちなら、ベストテン、あるいはベストファイヴ入りしているかも知りませんし、50年も前ならどの世代でも断トツのトップで名が挙がったことでしょう。
甲州ブドウは1990年代に入り、他の生食用ブドウが勢いを増してくるのに反比例してどんどん人気を落としはじめました。そしてついに21世紀を目前にして、先のみえない存続の危機を迎えていました。要するに、甲州ブドウは生食用ブドウとして見捨てられたのです。
“捨てる神あれば拾う神あり”と諺にもありますように、この甲州ブドウ存亡の危機を救う神があらわれたのです。東京の一ワイン輸入業者、(山梨の奇特な一ワイナリー、)甲州ブドウの栽培に夢をかける一篤農家が互いに手を組んで、甲州ブドウを“ワイン用”のブドウとして復活させることを決心しました。
《中部大学における甲州ブドウ研究のはじまり》
この方たちの要望をうけ、中部大学では2011年から、甲州ブドウの品質向上を目指す研究に取り組む幸運に恵まれました。以来、大学では「中部大学ワインプロジェクト」を立ち上げ、ブドウの研究に取り組むだけでなく、栽培、収穫、醸造にも学生と教員が一体になって協力してきました。
こうした努力が実を結び、昨年度は中部大学のワイン『白亞』2018を提供することができるまでになりました。幸い、本年度も『白亞』2019を中部大学の推奨ワインとして皆様に提供できることになりました。言うまでもありませんが、『白亞』2019も中部大学ワインプロジェクトの学生と教員が協力して栽培し適熟期に収穫した甲州から造られております。
《『白亞』2019について》
『白亞』2019は甲州のフリーランジュースを贅沢にも100%使って醸造してあります。甲州の特徴とされる柑橘系の香りを、またフレッシュで酸味の効いた味わいをできるだけ保持するようにと造られております。普段あまりワインに縁のないひとたちにも親しめるようにと、ほどよい甘味をもったワインに仕上がっているのも嬉しいポイントです。
上質で品格の高い、ともするとお高くとまった『白亞』2018とは一味も二味も異なる、優しく柔らかで親しみやすい『白亞』2019は、誰でも素直に受け入れることができるワインとして推奨できるのではないかと考えます。
ごく淡いレモンイエローの外観、新鮮で控えめなゆずの香りと少し甘口の味わいが、お寿司、刺身、天ぷらなどの和食全般に相性が良いばかりでなく、貝類、エビやカニなど甲殻類の料理、白身魚のムニエルや白ワイン煮、やはり白身を基調にした鶏や豚などの軽い肉料理に、自分好みのソースを組み合わせて楽しむことを期待させてくれます。
《甲州ブドウをワイン用のブドウに》
ところで、甲州ブドウが生食用のブドウとして見捨てられたのに、ワイン用ブドウとして復活できた理由は何なのでしょうか。ワインは、ヨーロッパ、特にフランスを中心として発展してきたため、フランス文化が深く影響しております。そのワイン文化のひとつに、ワインはブドウでもVitis vinifera(ヴィティス・ヴィニフェラ)種で造らなければならないというものです(フランスだけでなく、現在ヨーロッパ法(EU法)でも法律です)。しかるに、生食用ブドウを中心に発展してきた日本では、ブドウはブドウであって、生食用とかワイン用の区別はつい最近まで重要ではありませんでした。そのため、甲州ブドウの復活をかけた件の輸入業者は、甲州ブドウの遺伝的素性を調べることにしました。ヴィニフェラ種に関係がなければ、国際的なワインを造れずに途中で計画が頓挫するからです。
そこで、遺伝学的に種類を同定することで世界一といわれる、米国はカリフォルニア大学デーヴィス校の公的研究機関に鑑定を依頼しました。結果、ヴィニフェラのゲノムが大半を占めることが判明しました。これが2004年のことです。現在では、ヴィニフェラ種のゲノムを70%ほど、中国原産種のゲノムを30%ほどもつ交配種であることが推測されております。こうした努力が実って、甲州ブドウは2010年、ブドウおよびワインの国際機関であるO.I.V. (英:International Organisation of Vine and Wine;仏:Organisation Internationale de la vigne et du vin)にワイン用ブドウとして正式に登録されました。登録名は、Koshu。
ヴィニフェラ種の原産地であるコーカサス地方からシルクロードを通って日本にたどり着いたものと考えられ、山梨県での発祥逸話(以下に記述します)に一層の興味と好奇心をそそります。奈良時代までに、はるか遠方の黒海、カスピ海辺りから中国を経て渡来したと思いを馳せてみてください。ロマンを感じませんか。ワインにはロマンが一杯詰まっております。
《白亞の由来》
ここでせっかくですので、『白亞』の由来と甲州ブドウの伝承について触れておきたいとおもいます。
中部大学のワインが甲州ブドウで造られている理由はお分かりになったとおもいますが、大学のワインが何故『白亞』なのでしょうか。実は、中部大学ワインプロジェクトのフルネーム(full name)は「中部大学ワイン・日本酒プロジェクト」であります。中部大学が提供している日本酒も『白亞』と命名されております。理由は極めて簡単明瞭なものです。 中部大学校歌をここに披露しますと、
一、
桃園の夢 新たにて
春日井の丘 白亞あり
命の泉 平和の火
時空紫電の 頭脳充つ
消えぬ若さに照る学舎
かがやく われら中部大
二、
世界あまねく待ちのぞむ
思想と技術 おさめたり
雪と火華と 花々と
見事にみのれ もるるなく
古人のねがい われら負う
柱ぞ われら中部大
三、
万年の生 いくる甲斐
たぎる血潮に立つ時点
かえらざる日を身に泌めて
深きいぶきに知恵を識る
光りみなぎる わが学舎
ちからぞ われら中部大
一番の歌詞の2行目が「春日井の丘 白亞あり」となっております。春日井の丘に建つ、学びの殿堂が白亞の学舎というわけです。中部大学ワインも日本酒もこの白亞の学舎を意識して命名されました。因みに、作詞は日本詩壇に名を知られている佐藤一英氏、愛知県祖父江町の出身で1999年(平成11年)にふるさと記念切手にも登場しております。作曲は「椰子の実(やしのみ):作詞は島崎藤村」の作曲者、教会オルガニストとして有名な大中寅二氏です。
《甲州ブドウにまつわる伝承》
山梨県には甲州ブドウの由来にまつわる伝説がふたつあり、ひとつは奈良時代の出来事、もうひとつは平安時代の出来事を物語る伝説であります。前者は、今から1300年ほどまでさかのぼります。奈良の東大寺の大仏像造営の勧進役を務めた大僧正行基(ぎょうき/ぎょうぎ:668年~749年)が現在の甲州市勝沼町に大善寺を開創したとされる718(養老2)年、修業中の行基の夢枕に甲州ブドウをもった薬師如来が現れたという説があります。これをもって甲州ブドウ発祥の「大善寺説」と称されることもあります。
もうひとつの発祥伝説は、時代を下ることおよそ450年の1186(文治2)年、甲斐国、上岩崎村(現:山梨県甲州市勝沼)の住民、雨宮勘解由が「城の平」の祭礼の帰路、野生のブドウ樹を発見し自分の畑に移し栽培したところ、数年後に赤紫の実をつけたというものです。
このふたつはお互いに矛盾することはなく、両方とも正しい可能性があります。すなわち、前者が最初の導入者で、後者は再発見者ということで何の矛盾もありません。まったくの余談ですが、メンデルの遺伝に関する法則は1865年に発表されました。しかし発表当初はあまり注目を集めずほとんど無視されたため、35年後の1900年になって、3人の学者コレンス、チェルマック、ド・フリースがほとんど同時に(メンデルのすでに発見していた)遺伝の法則を発見しました。このように彼ら3人の発見が再発見であったと後になってわかったというのは科学史に残る有名なエピソードです。